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オヤジが危篤「明日息子さんを呼んでください」 2008年3月末[リライト版]

2018年12月30日

まるでドラマみたいな危篤の電話

それは知らない電話番号からの着信……。
セールスかなと思って、はじめはスルー。いつもはその後も知らん顔だったりするのだけど。

それでも次の留守電話をきいたのは、いつもの予感だったのかもしれない。

電話の相手は何年もお会いしていない親戚からだった。
その瞬間にただ事ないことが瞬時に分かった。

オヤジがなんでも、2008年3月30日(日)16時過ぎに大量下血し、徳山中央病院に運ばれたそうだ。

その後、輸血しても血圧が上がらず、一時は意識もなかったらしい。
現在も輸血を続けながら、経過観察らしい……。

また、お医者さんから「厳しい状況」といわれたらしい。

入院
あくまでもイメージですが、リアルです。
出典:フリー写真素材 写真AC

そして「明日朝一番で息子さんを呼んで欲しい」といわれたという。

というわけで、明日始発で山口県に戻ることになった。

この精神的にも死にたいくらいドタバタで苦しいタイミングでそーくるか!

ホンマ人生ってやつは!

いや、ホント映画みたいだなと思った。

 

■怒るべきときに怒るのは子供なのか[辞任の瞬間の思考回路]

怒るべきときに怒るのは子供なのか[辞任の瞬間の思考回路]

[2008/03/30 21:24:40]

オヤジよりオカンが心配だが、交通費が手元にない深夜

はじめに連絡があったのは、2008年3月30日(日)20時54分、公衆電話からだった。

続けて、知らない携帯番号から、続けて連絡があり、留守電が入っていた。

「お父さんが倒れて中央病院に運ばれた……」というメッセージ。

急いで電話をかけ直し……。

オヤジが大量に下血したこと、一時は意識不明だったこと、担当医から「息子さんを明日朝に呼んで下さい。厳しい状況です」といわれたことを、あらためてオカンからも聞く(どこか涙声)。

そのうえで「すぐに帰る用意をしなさい」と告げられた。

おいおい、こっちはそれどころでないー。

明日31日(月)でひとつの業務辞任決別で、引き継ぎ作業に入るところだよ(涙)。

まぁ、そんなときでもキホンは仕事優先な自分。
それには理由もある。

オヤジがヤバかったことは過去にもあった。

医者に「息子を呼べ」と言われたのは人生初だけど、覚悟は何度もした。

すでにお別れもしたつもり。

だから、オヤジが逝っても、たぶん現実感はないままだろうな。

しかーーし、心配なのは、オカンだ。

かつて認知症オヤジの介護ストレスから、突発性難聴で入院したこともある。

あの浜崎あゆみさんで有名になったヤツだ。
時代先取り!やるな、オカン!

というわけで、たまった業務メールをひたすら書き続け、引き継ぎ作業など編集部におまかせしつつも、翌朝始発で帰ることに。

が、財布に現金がない!

出典:フリー写真素材 写真AC

そこで、雨のなか、24時過ぎからコンビニATMを求めて外出するが……。

はじめに行ったローソンでは「時間外」と断られ、別のコンビニを探す。

その途中でケータイを忘れてきたことに気づき……。
なんとか次のセブンイレブンでお金をおろしたけど、気が気でない。

そわそわと帰り路を急ぐワタクシ。

ここで、変なことが起きる。

セブンイレブンを出て、交差点を北に渡って歩いていたと思ったら、ふと気がつけば、西に向かって歩いていたのだー。

瞬間移動だ!
マジである!

こりゃ、おやじが逝ったなと思った。

2008年3月31日(月)0時46分の頃だ。

[2008/03/31 18:45:26]

告別式、葬式にむけて肉を食う

結論から言っちゃうと、オヤジは現時点で山を乗り越えた

退院スケジュールも決まった(診断結果の詳細はまだ分からないけど)。

いちお、このハナシはまだまだ続く……。
まずは先日の続きから。

瞬間移動!
あのとき、オヤジが逝ったなとマジで考えた。

オヤジが、ヤードラット星人に悟空が教わった技をワタクシに託したのだ。
そのときオヤジの霊が乗り移ったと感じたのは事実である(なにかを伝えようとしたのかと思った)。

となると、始発で帰省後の数時間後には告別式で、明日は葬式だ。

年度末に亡くなって、エイプリルフールに葬式とはオヤジらしいと思っていた。

ならば、ワタクシもこの2日間を乗り切る体力をつけなければ……と。

コンビニの帰り道に24時間営業の「オリジン弁当」で、肉だぁーと「デミハンバーグ&牛焼肉定食(600円)」を購入。

このとき、3月31日(月)0時58分。
ほんで、雨の中、帰路を急ぐ。

まだまだ雨は冷たい。

雨の深夜
PAKUTASO/ぱくたそ フリー写真素材

なんだかんだと部屋に置き忘れたケータイの着信が気になる。
当時はガチで、んなことを思っていた。

ウチに帰って肉食って、メールして、次の仕事ネタ探しをして(編集デスクを辞任するため)、2時過ぎ。

原稿もいくつか書き進めるが、時間的に原稿リライトができないうえ、ブツ撮りできないので、あきらめて、お詫びメールを編集部に送信。

ここで寝ると、たぶん始発を寝過ごす……。

そこで、お風呂で読書しつつ、うたた寝することにする。

が、どんなに読んでも眠くならない……。

ここ最近の寝不足のなか、ここ数日毎日湯船で寝ていたのに、今日は眠れない。

あせる。

少しは寝ないと、告別式と葬式を体力的に乗り切れない!

喪服もどうにしかして用意しないといけないし、やること満載。

しかし、時間だけが浴室で刻まれていく。

ふと気がつけば、4時過ぎ。
あいわらず、チュー太がうるさい(後日追記:たぶん、屋根裏のネズミのこと)。

そろそろ準備しなくてはいけない時間になり、髪洗って、ヒゲ剃って、身体洗って、出発準備。

南海高野線の始発は、5時12分。

ゴミを出して、着替えて、5時前に出発。
まだ雨は止んでいない。肌寒い。

踏み出したマンション前は、どんよりと真っ暗だった……。

たぶん、あと3話ぐらい続きます。

[2008/03/31 20:37:02]

後日談[2018/12/22]

当時、あと3話続くと宣言しながら、途絶えているブログ投稿アーカイブのリライト版です。

すでに認知症マックスだったオヤジさんは、
その後、翌年2009年2月27日(金)に、誰ともまともなコミュケーションを一切とることもなく、ほぼ意識もないまま、80歳で他界

亡くなるまでの10年くらいは、息子である自分のことも分からず、さらにその5年くらい前は〝自分自身が分からなくなる恐怖〟とオヤジが向き合っていたと思うと心苦しい。

もちろん、息子が分からないオヤジと何年も向き合うのもしんどかったし、具体的に3回は一家心中も考えた。

まさに〝認知症あるある〟なんだけど、オヤジの兄姉などの親戚もどんどん遠のき……、孤立もした。

まぁ、当時はそれほど認知症について周囲の理解もなく、下松市の職員に理解してもらうべく「大阪で放送された認知症ドキュメンタリーのビデオ送りましょうか?」とメールしていたほど。

いま、当時と較べると認知症についての理解は確かに増したと思うけれど、先進的なノウハウが導入されているのは都会だけで、地方の対応やスキルは何年も遅れていると感じる。